ワールドのニュース

なぜ日本のメディアは中国に「ダンマリ」なのか? ――「支局閉鎖」というリアルな恐怖と、情報戦での敗北
配信日時:2025年12月13日 7時00分 [ ID:10727]

このエントリーをはてなブックマークに追加

写真をクリックすると次の写真に切り替わります。

イメージ

 高市総理発言をきっかけに、自衛隊機へのレーザー照射事件。これまでの尖閣諸島への領海侵入、邦人拘束、そして科学を無視した処理水プロパガンダ。どう見ても「中国側に100%非がある」事案であっても、日本の大手メディアの報道がどこか奥歯に物が挟まったようになるのはなぜか。SNSでは「弱腰だ」「媚中だ」と批判の声が上がるが、その背景には、ネット上の喧騒だけでは見えてこない、もっと構造的で深刻な「リアルな恐怖」が横たわっている。

 これは単なる「忖度(そんたく)」の話ではない。現代の情報空間における「認知戦」の最前線で起きている、日本メディアの構造的な敗北の記録である。「書いたら、終わる」――韓国とは次元が違うリスク。

 かつて、韓国で産経新聞の支局長がコラムの内容を理由に起訴され、出国禁止になった事件があった。「報道の自由」への重大な挑戦として、日本国内でも大きな議論を呼んだ。しかし、北京の取材現場を知る人間は、口を揃えてこう言う。「中国のリスクは、あれとは次元が違う」と。

 韓国のケースは、あくまで法廷闘争だった。しかし、中国共産党体制下では、司法プロセスの前に、物理的な「取材の足場」そのものが消滅するリスクが常にある。

 中国当局にとって、外国メディアの支局は「監視対象」であり、いつでもカードとして切れる「人質」だ。ウイグル問題、党内の権力闘争、経済の本当のヤバさ。当局の意に沿わない「不都合な真実」を報じれば、即座に「反中」のレッテルが貼られる。その報復は、記者のビザ更新拒否、そして最悪の場合は「支局閉鎖(国外退去)」だ。

 これが、現代の日本メディアが抱える最大のジレンマである。

 北京や上海に拠点を置く大手各社にとって、巨大な隣国を監視するためのかけがえのない「目」と「耳」だ。ここを失えば、情報は中国国営メディアのフィルターを通したものだけになり、独自の分析は不可能になる。「国民の知る権利」のために現地に留まる必要があるが、留まるためには、相手を本気で怒らせるような「核心的な批判」を自制せざるを得ない――。このパラドックスが、報道の現場から鋭さを奪っている。

 「空気読み」報道の限界と、認知戦での敗北
 中国当局は、このメディア心理を冷徹に計算している。取材の便宜と引き換えに沈黙を強いる古典的な手口に加え、近年はデジタル監視も強化。特派員の交代時期を狙ったビザ発給遅延など、陰湿な「無言の圧力」は日常茶飯事だ。

 さらに現代的な問題を加えれば、日本のメディア側の「事なかれ主義」もある。PV(ページビュー)至上主義や、ネット炎上を過度に恐れるあまり、リスクのある独自取材よりも、当たり障りのない両論併記を選ぶ。その結果、各社横並びの「空気読み」報道が常態化し、私たちは中国の覇権的な振る舞いや潜在的な脅威を、正確に認識できなくなっている。

 これは、現代の戦争形態である「認知戦」において、日本が情報空間で負け続けていることを意味する。相手の理不尽な振る舞いを「理不尽だ」と世界に発信できなければ、既成事実が積み重なっていくだけだ。

 もちろん、現場の記者たちも苦悩している。「真実を書けば、明日から取材ができなくなる」という恐怖と戦いながら、ギリギリの線を模索しているのが現実だ。彼らにただ「勇気を持って書け」と精神論をぶつけるだけでは、何も解決しない。それは、兵站(へいたん)を無視して前線の兵士に玉砕を命じるようなものだ。

 必要なのは、政府とメディアが連携し、不当な圧力に対して国際社会と共同で対抗する新しい枠組みだ。もはや一メディア企業の努力でどうにかなるフェーズは過ぎている。

 100%相手に非がある時でさえ、それを直言できないメディアに、国民の命運を左右する危機を報じる力はあるのか。中国の強硬姿勢がデジタルとリアル両面で加速する今、日本のジャーナリズムは、その存在意義をかけた岐路に立たされている。

【編集:YOMOTA】

ワールドの新着ニュース