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【コラム】タイ人に愛された日本兵:第6/7回〜悲劇に終わったメナムの残照の現実:後編
配信日時:2022年8月14日 11時00分 [ ID:8259]
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今年も終戦の日が近づいてきた。毎年この時期になるとタイ北部ミャンマーとの国境に接するメーホンソン県のクンユアム警察署長だったチャーチャイ・チョムタワット氏のことを思い出す。氏は在任当時から日本兵がクンユアムに残していった遺物を村人から買い集め、それらを展示するために博物館を創設。そして、村人から聞いた物語やエピソードを書き遺した。それらの文物を後世の若い人たちに伝えることが自分の責務だと言っておられた。タイに住むライターとして、本コラムをチューチャイ氏に献呈したい。
「第2次世界大戦でのクンユアムの人々と日本の兵隊さんの思い出」より
ドグブアトーンでの愛の物語 後編
結婚から2年目、二人に長男が誕生した。また次の年には次男が誕生した。サンペーは二人の息子を愛した。日本人は男の子が好きなようだった。しかし二人の温かで幸せな生活は3~4年しか続かなかった。1949年(昭和24年)、次男が生まれてから数ヶ月しか経たないある日、悪い運命のいたずらが二人を襲った。国がサンペーを調べに来た。日本兵は3人クンユアムに残っていた。日本大使館に引き渡すために、クンユアム警察のウタイ・ホントーン中尉がサンペーを逮捕した。しかし郡はサンペーを助けたかった。郡は10日もの間、警察に強く抗議したが聞き入れられなかった。サンペーは4人の警察官に護送され、象でチェンマイに向かった。その途中、一人の警察官は亡くなってしまった。
別れの日。ゲオさんはこれがサンペーとの永遠の別れになるとは知らなかった。旅立つ前、ゲオさんは自分の蓄えた30000バーツをサンペーに渡した。ゲオさんの手元には1700バーツしか残っていなかった。
サンペーはこの逮捕で、妻や子供のもとに再び戻ることは出来ないと分かっていた。自分は軍隊から逃げた脱走兵で死刑は免れない。チェンマイに向かう途中、警察官の隙をみてサンペーは逃げた。しかし今回は、以前に逃げられたような運はサンペーに味方しなかった。必死で逃げるサンペーは撃たれた。弾は足に当たったが軽症だった。その後、さらに厳しく監視されて連れて行かれた。そうしてチェンマイ県サンパトーン郡バンカートに着いた。
サンペーは、次の警察に引き渡された。そしてチェンマイの町から鉄道でバンコクに護送された。その後サンペーは、ノンタブリー県のバンクワン刑務所に入れられた。
ゲオさんら家族はサンペーのことを大変心配していた。ナイパンは何度となくクンユアムの役所に行ってはサンペーの様子を聞きにいった。そしてある日、サンペーが重い病気に罹って外国人専門病院に入院していることが分かった。クンユアムの役所は、サンペーのところに行って釈放を願い出るようサンペーの家族に言った。しかし当時、それはとても大変なことで出来ないことだった。交通手段もない、お金も無いし、子供も小さかった。国が一日も早くサンペーを釈放してくれることを、心で祈るしかなかった。長く待ち続けたが、その後のサンペーのことは何も分からなかった。
ゲオさんと子供たちは、サンペーのことを何年も何年も待ち続けた。十数年もたった。ゲオさんはサンペーが再び帰ってくることはないだろうと諦めた。ゲオさんは、今度再び生まれ変わってそしてサンペーと会おうと考えた。その後の親子三人の生活は苦労の連続だった。運命は幸せを与えなかった。サンペーがいたとき、ゲオさんの家族はとても幸せだった。サンペーはまじめに一生懸命に働いたので収入が多かった。そのため他の村人たちに比べて生活は豊かだった。サンペーは自分のためだけではなく、人のためにも働き汗を惜しまなかった。こういう人間だったので村では信頼が厚かった。クンユアムの役所もサンペーに仕事を依頼した。むかしは今のように国の仕事を誰でも出来るということはなかったが、しかしサンペーはそれほど信頼が厚かった。サンペーとゲオさんは村人から羨望された。
しかしサンペーがいなくなった。家族の働き手がいなくなり生活は苦しく貧乏になった。そして村人の見る目が変わった。サンペーがいたときは敬意で見てくれたが今は蔑まれた。なんで日本人と結婚したのかなどと陰口も言われた。ゲオさんはとても辛かった。しかし同情してくれる人もいた。こういう人からゲオさんは生きる力をもらった。生活は苦しく、ゲオさんはサンペーの持ち物を売った。ほんとうはサンペーの物はとっておきたかった。しかしゲオさんの父母は年で家族を助けることは出来なかった。女ひとりで子供二人と老人二人の面倒はとても大変だった。仕事に出るときも二人の子供を連れていったりした。苦労の連続だったが、サンペーとの幸せな生活を思い出して生きていく気持ちとした。(中略)
第二次世界大戦終結後、タイ国は新たな法律を制定した。日本人の定住権に関するものだった。その資格は以下のとおり。
1、第二次世界大戦、1939年(昭和14年)9月1日以前からタイ国に来ていた日本人。
2、医者、技術者。
3、タイ人と結婚している人。
(中略)
サンペーとゲオさんは3番に当てはまる。しかし二人にこの法律は適用されなかった。(中略)もう少し役人や警察がしっかりしていればこういう結末にはならなかったはずだ。奇跡は起こらなかった。二人は再び会うことはなかった。(後略)
第7回「終戦の日によせてチューチャイさんへ捧ぐ」へつづく
本コラムは、故チューチャイ・チョムタワット氏の遺志を後世に伝えるべく書かせてもらっており、過去や現在の戦争行為を賛美したり美化するものではないことを明記させていただく。
【執筆:編集 そむちゃい吉田】
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