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【コラム】タイ人に愛された日本兵:第3回(全7回)〜日タイ友好の戦争博物館
配信日時:2022年8月11日 11時00分 [ ID:8255]

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チャーチャイ氏の著書「第2次世界大戦でのクンユアムの人々と日本の兵隊さんの思い出」日本語版の表紙、第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出ホームページhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/index.html

 今年も終戦の日が近づいてきた。毎年この時期になるとタイ北部ミャンマーとの国境に接するメーホンソン県のクンユアム警察署長だったチャーチャイ・チョムタワット氏のことを思い出す。氏は在任当時から日本兵がクンユアムに残していった遺物を村人から買い集め、それらを展示するために博物館を創設。そして、村人から聞いた物語やエピソードを書き遺した。それらの文物を後世の若い人たちに伝えることが自分の責務だと言っておられた。タイに住むライターとして、本コラムをチューチャイ氏に献呈したい。

「第2次世界大戦でのクンユアムの人々と日本の兵隊さんの思い出」より

博物館を作る

 私がクンユアムの警察署にはじめて来たのが1995年(平成7年)だった。
 いろいろとあいさつ回りをしたところ、戦争のときの物を、ほとんどの村人たちが持っていた。聞いたら、「これは日本の兵隊さんの物ですよ。」と言った。
 私はもともと古いものが好きだったので大変うれしくて喜んだ。そしてこれら日本兵の遺品を村人から買い始めた。そうしたところ村人たちのあちらこちらから、物がどんどん出てきた。

 村人がだいたい分かっているのは、日本の兵隊さんが第二次世界大戦のときにタイに来て道を作ったということ。
 1、メーマライからパーイへの道。
 この道によってチェンマイとメーホンソンがつながった。この道は日本兵がビルマに行く道で日本軍によって作られた。
 2、メーホンソンの町からクンユアムへの道
 これも作った。
 特にメーマライからパーイへの道は、困難な道路建設で多くの人が死んだ。そのためタイ人は「白骨街道」と呼んだ。
(中略)
 日本の敗戦が色濃くなった時、インド、ビルマに行っていた日本兵がタイに戻ってきた。
そうして辿り着いた所がクンユアムのバンホイトヌンで、ここで日本兵は何千人と死んだ。

 日本兵の遺品を村人が仕舞い込んで持っていたが、これらの物は日本軍、日本兵にとって大切なものであり、深い歴史的な価値があると私は感じていた。
 もしこれ等の物が集まったら、学生等の歴史の勉強に役立つのではないかと思った。
 そして、カンチャナブリの博物館のように出来たらいいなと思った。
 そうすれば、いろんなこと、歴史を勉強することができる。そして世界からたくさんの人が訪れるようになれば景気もよくなるだろう。
 第二次世界大戦の記録がまったく残っていない、クンユアムの歴史が明らかになれば良いと思う。

 1996年(平成8年)に私はクンユアムの郡長と相談して、クンユアムの寺(ワットモイト)の前に戦争博物館を作った。しかしまだ展示するものはなかった。
 建物の半分に日本軍のものを展示することにした。これは昔の戦争でメーホンソン県と関係あるからだ。
 メーホンソンの人たちに「博物館を作ったので日本兵のものを持っている人は持ってきてください。」と呼びかけた。そうしたら機械とか、いろいろな物がどんどん集まってきた。ただで持ってきてくれる人もいた
 しかし最初はあまり意味が分からなかったためか、みんな協力してくれなかった。時間が経つにつれて協力してくれる人も出てきてグループができた。
博物館に集めたものを専門家が調べたら、本当に日本兵が使っていたものだった。(中略)

 博物館が出来たとき日本のマスコミの人、タイのマスコミの人がたくさん来て報道したため広く知られるようになった。
 このときはまだ600点ほどしか集めていなかった。遺品を集めただけで、山にはまだまだいっぱい有るが持ってくることは出来ない。
 そしてまだお墓のこと、道路建設のこと、橋を作ったこと、日本軍のことなどはまったく調べていなかった。
 クンユアムに博物館ができたことが日本にも伝えられた。そしてかつての日本兵がここをおとずれるようになってきた。そして来てみて、展示されている物を見て写真を見て感動に咽んだ。それからこの人たちが協力してくれた。お金とか物を送ってくれて、この博物館が充実してきた。(中略)

 この博物館で当時の日本の考え方や思い出が理解できる。ぜひ次代の若い人たちが戦争の意味を考えてほしい。悲惨であるとか、正しいとかそういうことを。

 クンユアム博物館は1996年(平成8年)11月9日開館した。
 開館したときは、ただ物を集めただけだったが、すべて完全に調べ終わったのが2000年(平成12年)であった。このとき庭にある車や、中にある器械など1000点ほどが集まっていた。

以上が著書「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」に記載されたほぼ全文だ。(一部省略)

 こうしたチューチャイ氏の遺品収集や聞き取り調査。そして博物館の設立と著書の執筆の後、2006年(平成18年)6月13日にプミポン国王在位60周年行事のために来タイされた明仁天皇陛下(現上皇)ご夫妻とチュラロンコン大学構内で謁見された。

 そして、翌2007年(平成19年)4月29日その功績に対して、天皇陛下より旭日双光章を受章。同年6月27日、在タイ日本大使館で叙勲式が催された。これらについて当時の詳しい内容は、ホームページを参照されたい。

ここで紹介されている戦争博物館は、現在クンユアムにあるタイ日友好記念館が設立される以前にあったもので、チューチャイ氏によると現在のタイ日友好記念館とは「展示物は寄付したが関係はない。」とのこと。

第4回「日本兵の生活と住民との交流」へつづく

本コラムは、故チューチャイ・チョムタワット氏の遺志を後世に伝えるべく書かせてもらっており、過去や現在の戦争行為を賛美したり美化しようとするものではないことを明記させていただく。

【執筆:編集 そむちゃい吉田】

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