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【カンボジア】日本橋の建設下請けからトップゼネコンへ一JICAカンボジア事務所
配信日時:2016年6月22日 11時00分 [ ID:3503]

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交通の要所となった日本・カンボジア友好橋(久野 真一さん撮影・JICA提供)

 2016年6月20日、JICAカンボジア事務所が発行する「カンボジアだよりNo58」に『日本橋の建設下請けからトップゼネコンへ注目の「質の高いインフラ投資」を体現 』と題する記事が掲載された。

(記事)プノンペン北部の「日本・カンボジア友好橋 (日本橋)」。首都中心部と郊外や地方を結ぶ交通の要所であるこの橋は、カンボジア復興に対する日本の協力の象徴でもあります。この橋 の改修に携わったあるカンボジア企業の成長ぶりが、日本政府が掲げる「質の高いインフラ投資」という考え方を体現していると注 目されています。

 日本橋は1960年代に日本の企業などにより建設されましたが、内戦中に一部が爆破で落橋しました。内戦終了後、再開した無償資金協力の 第一号として橋が修復され、1994年にシハヌーク前国王により、日本・カンボジア友好橋と名付けられました。 改修工事を受注したのは日本の大林組・新日 本製鉄・横河ブリッジからなるジョイントベンチャーでしたが、その現地パートナーとして工事に参加したのが、カンボジアの建設会社SOM Corporation(ソム社)でした。といっても当初は、橋の工事に従事する現地ワーカーをとりまとめる会社でしかありませんでした。

 しかし、橋の改修工事をきっかけに、ソム社は日本のODA事業の下請けをしながら、成長していきます。「建設会社として大林組以外のゼネコンとも仕事を始めたのは1998年ぐらい。復興が本格化し、インフラ事業も増えてきた時期です」。

 流暢な日本語で語るのは、ソム社副社長のソム・ サンカーさん(46)。サンカーさんはじめ、ソム社を立ち上げたソム一家は1980年に難民として日本に渡り、1990年代半ばまで日本で暮らし ました。ソム社を立ち上げてから、日本での就 職、米国留学などでばらばらになっていた一家の兄弟がひとり、またひとりとカンボジアに呼び戻され、事業を担うようになりました。 サンカーさんは、日本の元請け会社や技術者から学んだことをこう話します。「仕事の質、工期、そして顧客を大切にすること。すべての 材料、工程を検査することなど、カンボジアの企業ではまだ実行されていないことも多い。施主がいないから、顧客が見ていないから、といって手を抜くな。そういうことを日本の会社に たたきこまれました」

 現在、受注金額は年間1000万ドル前後にのぼり、カンボジアのトップゼネコンの一つとなったソム社の受注の9割近くは日系の企業で、すべてが元請けだそうです。先日、株式上場を果たしたプノンペン経済特区でも、多くの工場建設を受注しています。民間セクターが成長するにつれ、業界内の競争は厳しくなり、価格競争では勝ちとれない仕事も出て きました。それでもソム社は「仕事の質」にこだわるといいます。「工事が終わったらさようなら、ではない。1年後の検査、5年、10年先のメンテナンスも任せてもらえるように信頼を勝ち取ることが大切です」と、サンカーさん。「簡単なことじゃない。だから、一緒に仕事をしてその後もまた声をかけてくれる顧客こそが私たちの宝物なのです」 ソム社にはエンジニアが27人いますが、辞めていく技術者は少ないとのこと。独立した5人の エンジニアも「のれん分け」の形でソム社の精神を引き継いでいるといいます。「1990年代、いろいろなことを教えてくれた日本の技術者たちは、ぼくらの成長した姿を見たいと言ってくれました。自立して日本の会社にも認められる企業になったぼくたちを、見て欲しい。それが恩返しです。

 「質の高いインフラ投資」2016年5月のG7伊勢志摩サミットで安倍首相は、世界全体の質の高いインフラ案件に今後5年間で約2000億ドルの資金を供出すると表明した。一見、値段が高く見えるものの、使いやすく、長持ちし、環境に優しく災害の備えにもなるため、長期的に見れば安上がりであるという「質」を備え、雇用創出や人材育成にもつながっている投資。

【編集:MK】

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