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【タイ】旧日本兵慰霊塔を守る日本人教師とタイ人学生たちの現実
配信日時:2023年8月15日 6時00分 [ ID:9123]

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慰霊塔の清掃作業をする学生たち(蔭山先生提供写真)

 タイのカンチャナブリーにある戦争博物館とクウェー川鉄橋は、映画になったこともあって世界的に有名だ。今でも多くの観光客で賑わっている。タイには、そんな第二次大戦ゆかりの地が他にも多い。その中で北部メーホンソン県クンユアムには、戦争当時の旧日本兵の遺品などを展示した日タイ友好記念館がある。旧日本軍の蛮行を強調したカンチャナブリーの博物館に対して、クンユアムのそこは、日本兵とタイ人との交流や友好に焦点を当てた展示ともなっている。

 そんなクンユアムの地は、終戦間際にかのインパール作戦の起点となった場所だ。そして、作戦が失敗したあと、白骨街道を命からがら帰還した兵士たちがたどり着いた場所でもある。現在のクンユアムには、当時野戦病院となったムアイトー寺やトーペー寺などに慰霊碑が建立されている。それらの慰霊碑は、今では地元に学校で日本語教師をしている蔭山修一先生によって、週1回清掃活動が行われて綺麗に保たれている。

 蔭山先生によると慰霊碑の清掃や保守活動は、京都にあるNPO日泰教育交流協会の主導で、洛東ライオンズクラブと大阪のタイ王国総領事館、そしてクンユアムウィタヤー校の三者で覚書を交わした事業として、2014年から始まったそう。主な活動資金は、日泰教育交流協会から支給されているそうだが、他の団体や個人からのカンパもあるという。

 清掃に参加する生徒は、学校の学生寮に住んでいる学生に声をかけているのだが、生徒たちの目的は、終わった後の食事会だ。当初はこうした人参をぶら下げるようなことはしないで始めたというが、なかなか人数が集まらずに大変苦労したという。そのため、今ではもう割り切っているものの、実際の作業よりも食事代の負担が大きく、支援金では足りずに先生の自腹で払っている。

 「この活動も自分がいなくなった後は、もう続かないでしょう。わたしが赴任した2014年当時の覚書も、その後先生や担当役人が何回も変わり、その内容すら忘れられているようで、学校内でも先生方からは「私が個人的に学外に生徒を連れだして、掃除させたり生徒にご飯を食べさせてる」と思われており、食事会のあと帰宅時間が遅いなど注意されたりもされる始末です。学生寮の学生たちは、山奥に実家があり学費の支払いも苦労している子どもたちです。日本人として、タイに散った先達たちの慰霊碑を清掃してもらう。そのお礼として食事を振る舞う。持ち出しも多いですし、今では自分の趣味みたいな活動になっています。」

 と自嘲気味に話す蔭山先生。このレポートを書いているわたし自身も何度か訪れ、その際にはここクンユアムにまつわるエピソードを取材してきた。しかし、そのアクセスの悪さで観光客も少ないことも見て来た。さらに今は隣国ミャンマーの内戦から逃れてくる人々も後を絶たない。先生の勤務する学校には、ほとんどが山岳民族。そしてミャンマー側に親族がいる家族も少なくない。ここに暮らす人々にとってみれば、遥か昔の慰霊碑などより、今現在の生活を守ることの方が大事でもある。そんな状況の中で、食事目当てだとしても日中の猛暑の中で清掃作業活動を続けている蔭山先生と学生たちには敬意と脱帽しかない。


【取材:そむちゃい吉田】

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