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【タイ】「男子、一生に一度は出家すべし」田舎の得度式に参加〈後編〉
配信日時:2024年4月14日 7時00分 [ ID:9660]

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車に乗り込みお寺へ向かう (そむちゃい吉田撮影)

 2024年4月6日、タイの田舎で行われた得度式に参加して来た。日中の最高気温40度を超える中で行われたタイの伝統儀式についての後編として、家から寺へのパレードと寺に着いてからの様子をレポートする。

お寺への行進パレード

 昼12時頃に楽団の生演奏が終わり、ひと時の静けさが戻った。しかし、それも長くは続かず、この後はお寺に移動する旨の案内がされると、また大音量で音楽が流れる。楽団が昼食を終えた13時頃に、親族と参列者は何台かの車に分乗してお寺に移動する。その移動の間中も、楽団の演奏が続きピックアップ車の荷台では参列者たちが踊りながら、ゆっくりと車列が進む。その頃には気温も40度に達していて、体感気温では45度にもなっている。村の寺に向かうと思っていたのだが、得度式は5キロほど離れた寺までいくという。村の住職は、得度をさせられるほどの高位ではないいうのがその理由らしい。

 タイ中部、アユタヤの東隣にあるサラブリーは、バンコクからも約150キロほど。県都のあるムアン市で東北部と北部への道が分かれる交通の要衝として、そこそこ拓けているものの、特に大きな観光地などもなく、普段は素通りされるだけの地方都市だ。その中心部から車で30分ほど南西へ入ったところが私と妻の実家でもある。バンコクで暮らし年に数回里帰りするようになって、20数年。さらにここに家を構えて、10年少し経った。今回出家した当人は、私がここに来るようになった頃に生まれたので、本当に赤ちゃんだった頃から見てきた。多くの若者が職を求めてバンコクなどの都会へ出ていく中、彼はこの故郷を離れずに祖母や母親と暮らしてきた。その暮らしぶりは、今はほとんどのタイ人がやらなくなった、いわゆる3K仕事だったから、大変だっただろう。時折、どうしても足りないからと、母親がお金を借りにきたが、それも仕方のないこと。出世払いで貸していたのはいうまでもないだろう。

得度の儀式

 大音響を響かせての車列は、のんびりとした田園の中を進む。時折、通りがかりの車が追い越せずに後ろに続く。しかし、ここでもクレームを言ってくるような車はいなかった。パレードに合わせてゆっくりと続いたきた。それは道沿いの集落も同じで、何事かと外に出てきた村人は、一応に笑顔でパレードを見送っていた。寺に着き、楽団の準備が整うと参列者たちは、待ってましたとばかりに、また踊り始めた。パレードに先んじて着いていた人も少なからずいたようで、50人ほどの人数になっている。パレードが来る前にはすでに出来上がっていたようで、この踊る集団の後を楽団、そして出家する当人と家族が続き、そのまま本堂を3周する。この間、得度式を執り行うことになる僧侶たちは、お堂から眺めている。

 集団が練り歩く間、時折お菓子や些少のお金を包んだ小袋がばら撒かれる。その度に我先にと手を伸ばしたり、拾い集める参列者。拾うと得をわけてもらえたことになるそうで、子どもも大人もかなり必死に集めていた。踊り手と楽団の進行は、遅々として進まない。酔った参列者たちが、台車の前で邪魔をするように踊っているのだ。それを宥めすかすように、ゆっくりと本堂を周る。そのため、本来なら普通に歩いても5分とかからないであろう距離を、30分もかけて周ることになった。そして、三周してなお残っていた小袋が当人からばら撒かれて、騒がしかった楽団と踊り手(参列者)も帰り仕度を始めた。

 一気に静かになった本堂。その中には、出家する当人と家族、親族が、高僧と20人ほどの僧侶を前に座る。当人と家族にとっては、実はここからが本番だ。補助役と思われる僧侶に従い、構想の前に当人がかしずき、得度の儀式が始まった。厳かな読経が終わると白い正装から朱色の袈裟に着替える。そして、多くの戒律を守る宣いの宣誓が指導役の僧侶に応える形で口上される。ひと通りの儀式を終えて本堂を出る時には、彼は一人の僧侶となっていた。その姿を親族たちが手を合わせて迎える。両親も安堵感と共に誇らしげな表情で見つめている。

 こうして、この日の儀式が静かに終わった。田舎の小さな家族による小さな得度式ではあったが、その準備には多くの人と彼らにとっては、少なからざる出費を伴っていたのも確かだった。そんな裏事情などをも紹介していきたい。

<続く>

【取材:そむちゃい吉田】

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