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【コラム】カカオトークとLINE
配信日時:2022年10月22日 7時00分 [ ID:8436]

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 カカオトークもLINEも、スマホアプリとして、今や欠かせないものとなった。

 カカオトークは、LINEよりも少し先に純韓国で開発された。それに触発されて、LINEも続いたがそれほどの年数経たずに韓国から撤退し、ターゲットを日本に向けた。トップは韓国系の人物だったので、発祥がどこかになったらまた揚げ足を取られそうだが、およそ8割の日本人がその開発の中心にいた。

 LINEが日本で普及したのは、東日本大震災だったらしい。あの時は、ガラケーも止まり、メールで安否を知らせることも、揺れた後30分以降はできなくなった。比較的都市部と呼ばれる市町村で言えば市でも、5日くらいはつながらなかった。乏しい情報の中で、公衆電話は、10円入れると首都圏以南には通じると言うので、東京経由で県内の親戚と連絡を取った。また、物量が止まっているにかかわらず、日本郵政は動いていて、1週間以内に神戸から安否を尋ねるはがきが着いた(震災の1時間ほど前に郵便局に出した郵送物が届いたのは1か月後だった)。メールが通じても、充電が追い付かないので返信ができない。

 そこで、「既読」という「読んだなら、生きているということだ」とLINEが普及したと言われる。

 ただ、日本には、たくさんのSNSがある。震災時に多用されたのが、ツイッターやフェイスブックだった。筆者も遅まきながらそのころから始めた。、mixiもしたが距離感が近すぎて止めた(コアなことを語る仲間はその近さが使いやすいという)。インスタグラムのバエるはいまだにわからないし、tiktokは全くわからない。まだまだたくさんのSNSの種類はあるだろうが、重い腰をあげてLINEを始めたのは一昨年の入院時で時間があったからだ。

 カカオトークに関しては、不倫する時のツールだと聞いていたので(誤認かもしれない)、今回の騒動になるまで、まったくノーマークだった。

 ここからは全くの私論だが、どんなにネット社会になっても、ペーパレスになっても、「書く」という行為は必要だ。スマホの機能に頼ってばかりいると、その人が誰でどこに住んでいるのか固定電話でも通じる糸がなくなる。

 自分の人生にとって大切な人は、全部大学ノートに殴り書きでいいから書くべきだ。それが、人と人との付き合いだから。地図系のアプリで、住所を確認して本当にそこに住んでいるかを確認すると、詐欺にもあいにくい…もちろん、パソコンで出力してもいい。

 自分の家に一番近いタクシーや病院の電話番号は、見えるところに書いて貼っていた方がいい。などなど、書くことの意味合いはある。その確実さを、便利さが勝って、韓国人は捨てたのかもしれない。

 LINEをはじめSNSは、海を越えた近国からきたものだから、情報を抜かれると頑なに使用しない人もいる。小市民の日常のたわいもない話は、国家の重要機密ではないと考えるのだが、そうも言えない時代になってきたように、カカオトーク障害からうかがうことができる。

 日本の公衆電話ももっと減るそうだ。黒電話契約をすると公衆電話と同じ働きをしてくれるともいう。電話が通じなかったら、日本郵政がある。63円ではがきが、84円で封書が全国に配達される。すぐ知りたいという人としての欲は当たり前だ。だが、昔からのツールは少々不便でも、まちがいないなにかがある。

 SNSで、友達やフォロワーが何万人いても、一葉のはがきにかなわないことは、まだ21世紀の今でもある。

【編集:fa】

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